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「イスラム嫌悪」が改宗イスラム教徒の共通の出発点

はじめに

ブログの表題に “イスラム嫌悪が改宗イスラム教徒の共通の出発点 ” と書きましたが、このブログ著者である私Ranaがイスラム教に改宗するきっかけも同じ出発点から始まりました。私はメディアから見聞きしたイスラム教のイメージにより、イスラム教に対して憎しみと怒りの気持ちを持っていていました。そして、イスラム教という宗教の悪い所をもっと探ろうとするところから始まり、結果的にイスラム教に改宗をしました。

この記事では、 YouTube番組の中から、イスラム教に改宗した経緯が特別に興味深く、かつ影響力があると感じた4名の動画を紹介しています。また、それらの動画で話しているストーリーのあらすじを、わかりやすいように、文字に起こしました。

  1. 「Anti-Islam Book (反イスラム主義の本)」を執筆していたオランダの国会議員がイスラム教徒となるに至ったいきさつ
  2. カトリックの司祭がイスラム教に改宗に至るまでのストーリー
  3. 仏教の僧侶になることを志していた日本人が、イスラム教に改宗、そしてイマムになった珍しいケース
  4. 東方正教会の司祭がずっとイスラム教に興味を抱いたまま20年以上かけてようやくイスラム教に改宗する決心をしたストーリー

彼らがインタビューで語ったイスラム教への改宗までのいきさつは、大変興味深い内容です。やはりメディアで悪いようにイメージ操作をされて流されているイスラム教のイメージと、真実とのギャップは、それを知った人たちに大きな衝撃を与えるのだなと思いました。そして、真実を知ってしまうと、イスラム教を信仰しないという理由が見つからなくなるのです。私もまさか、自分自身がイスラム教徒になる日が来ようとは夢にも思ったことがありませんでした。(私がイスラム教に改宗をした経緯については、また別の機会に書かせて頂きます)

YouTubeの自動翻訳をオンにする方法

今回紹介するYouTubeのリンクは英語でインタビューをされているものばかりです。英語が苦手な方は各動画視聴時に「設定」から自動翻訳をオンにして下さい。わかりやすいように画像付きで自動翻訳のオンの仕方を説明します。

① パソコンでの視聴の場合、右下に設定用の「歯車マーク」があります。それをクリックします。(スマホ画面では、画面をタッチすると右上に歯車マークが現れます)

② 「字幕」をクリック

③ 「自動翻訳」をクリック

④ 言語を選びます。「日本語」はかなり下の方に選択肢がある場合があります。

⑤ すると、日本語の字幕が現れました。

イスラム教に改宗した興味深いストーリーを世界から4選

1.「Anti-Islam Book 」を執筆中のオランダの国会議員がイスラム教徒になる

オランダの首都アムステルダム出身の Joram Van Klaveren は、1979年生まれ、プロテスタント(キリスト教)の家庭で育ちました。彼は高校を卒業後、「比較宗教」を研究し、 その分野の教師を務め、その後国会議員となりました。

2001年9月11日にニューヨークで起こった同時多発テロをきっかけに、Joram のイスラム嫌悪の感情が一気に膨らみました。彼は、大学で見かけるイスラム教徒たちをクレイジーな奴らだと嫌悪し始め、こういう狂ったイスラム教徒たちを何とか抑え込むためには自分が政治家として活動すべきだと感じました。そして、イスラム教徒に反撃するために彼は国会議員になったのです。その後、オランダで起こった路上で有名な映画プロデューサーが惨殺された事件の後にJoram は「Anti-Islam Book (反イスラム主義の本)」の執筆にとりかかることとなりました。彼はイスラム教は嘘っぱちの宗教で、危険な宗教であり、いかに世界にとって脅威であるかを、その本で人々に知らせたかったのです。

Joramは、その執筆の過程で、イスラム教について深く調べているうちに、彼が信仰していた宗教の教えには子供の頃から疑問に感じる点があったことを思い出しました。そしてイスラム教ではその答えが全てコーランに書かれていて、イスラム教のいう一神教の教えの方が正しいかもと思い始めるようになり、何度も聖書とコーランを読み返したと言います。

彼は国会議員でありながら反イスラム主義の本を執筆し、しかもイスラム教についてわからないことがある時は、イスラム教徒であるケンブリッジ大学の権威ある教授に問い合わせをしていました。彼はそのことについて、「反イスラムの本を書くために、イスラム教徒の教授に手伝いをお願いすることはおかしなことだと感じていました。でも、疑問に思っていることを彼に問い合わせしました。」と語っています。彼はその教授に、イスラム教がテロリズムを助長する理由や、反キリスト教の理由などたくさんの質問をしました。教授から詳細に回答されたE-mailをその後受け取り、教授自身の言葉で書かれた回答と、教授から推奨された本や記事を全て読みました。

そして比較研究をし続けた結果、Joramがそれまで預言者として認めたくなかった「モハンマド」について、間違いなく彼は預言者であったと認めざるを得なくなったと語っています。更にJoramは、預言者モハンマドの生き方や人柄を学び、モハンマドは本当に特別な存在だと感じ始めました。そして、彼はそう感じ始めた自分自身に気付いた時、とても驚きました。なぜなら、彼が執筆しようと思っている内容とは完全に真逆の方向へ、彼の考え方や思いが進んで行っていたからです。

そして、Joram は、そのことに気付いた瞬間、閉じた本を本棚の積みあがった本の一番上に置こうとしました。すると、たくさん積みあがっていた本が崩れて下に落ちました。その落ちた本の中にはクルアーンも含まれていました。彼がクルアーンを拾い上げた時、彼の手がクルアーン第22章46節のページにありました。その節には「盲目なのは目ではなく、心だ」と書かれていました。それを見た瞬間 Joram は、「あー!これは本当に私自身のことを言っている!」と思いました。それでもエゴが邪魔をして、彼は簡単には受け入れることができませんでした。そして彼は「神様、どうか私に啓示を下さい。どうか私に100%の確信をください」と、祈りました。そう神に祈った後、彼はベッドへ行き眠りました。翌朝目が覚めると、彼は何とも言えない安心感に満ちていました。過去に他のことでもそれほどまでに安心感を感じたことなど無かったくらい、本当に強い安心感に包まれていました。彼はその時のことを「それはまるで、太陽が雪を解かすかのように、不安や疑いが綺麗に消えて無くなっていた。」と表現しています。そして Joram はついに「私はイスラム教徒だ。」と自分自身に言いました。2019年のことでした。

Joram は自分自身がイスラム教に改宗したことを、他の人達にも伝えなければいけないと感じました。そのことを身近な人々に伝えたところ、ほとんどの人から否定的な反応を受けました。彼の母親もショックで泣きました。彼の職場の仲間は怒りで攻撃的な反応をしました。そして反イスラム主義である国会議員の彼がイスラム教に改宗したというニュースが世の中に流れた後は、2000件以上の殺害の脅迫を受けたと言います。そして彼がこのインタビューの最後で「私はクリスチャンの家庭に生まれ、クリスチャンとして育ちました。でもそれは私がキリスト教の教えについて理解して選択した宗教ではありませんでした。しかし、今回私は、イスラム教についてよく理解し、正しい宗教を選択することができました。以前私がイスラム教について正しい知識を全く持たずに、『イスラム教は嘘っぱち』、『クルアーンは毒だ』と繰り返し公言していたことについて、私が最高レベルの無知であったと、恥ずかしく思い、そういった発言をしたことを後悔しています。」と語っています。

2. バチカンのカトリック司祭がイスラム教に改宗!

Idris Tawfiq のイスラム教への改宗は世界中のキリスト教徒に衝撃を与えました。なぜなら彼はバチカンの元カトリック司祭だったからです。

Idrisはインタビューの最初に、ローマカトリックの司祭として働いていた期間を振り返り、次のように語りました。「善良な人たちと一緒に働くことはとても素晴らしく私には特別な時でした。私は司祭として結婚式の儀式で新郎新婦の告白を聞いたり、教会でミサを執り行う司祭の役割を果たしました。また、病人がいると電話を受ければ、深夜であっても、塗油の儀式を行うために外へ出掛けました。このような自分の司祭としての仕事に対して、私は仕事のやりがいと特別感を持っていました。ですから、私には教会への不満など無く、充実した気持ちに満たされていました。」

しかし全能のアッラーに深い感謝の気持ちを感じ始めていた Idris の様子を見て、仲間の司祭たちが次のように尋ねました。「何があなたとあなたの人生をそのように変えたのですか?今まであなたが向かっていた方向とは全く違う方向へ、あなたが突然向かい始めたように感じています。」このことについて Idoris は、インタビュアーに次のように答えました。「私自身は全く何も変わっていませんでした。でも、私がローマの教会の講堂に座って、トーマス・アクィナスの本を読み、聖書と教会の歴史について学んでいた時、私はカトリックの司祭になるための訓練を受けずに司祭になっていたことに気付いたのです。今私はあなたのインタビューをイスラム教徒として受けるためにイスラム教について話せるように勉強をし訓練をしてきました。私がイスラム教徒になれたのは、最初から全能のアッラーの計画であったこと、そして今私がイスラム教徒としてここに座ってあなたのインタビューを受けることも全てアッラーの計画であったのです。私がカトリックの司祭を退いたのは教会に不満や問題が有ったのでは決してありません。私は司祭でいることが幸せだった。そして私がカトリックという宗教を捨てる計画など一つもありませんでした。ここから言うことは重要なのですが、全能のアッラーは私たちに様々な異なった方法で語り掛け、アッラーを近くに感じさせます。例えば、美しい日の出を見ることを通して、クルアーンを通して、科学を通してです。私に対しては、アッラーは私の心を通して語り掛けてくださいました。あなた方が知っているようにカトリックの司祭は結婚をしません。なので、私は非常に孤独感を持っていました。ですので、カトリック教会を去ることは、私にとっては非常に難しい決断でしたが、最終的にカトリックの司祭としての職業を辞めることを決断しました。そして教会を去りました。私にとって神権を去ることは、死や離婚、家が燃え尽きるなどのことが同時に起こるかのように、とても大きなことだった」

教会を去った Idris は何か自分自身を元気づけるようなことが必要でした。そしてしばらく休暇に出掛けることにしましたが、金銭的な余裕が無かった彼は、インターネット検索で、休日を最も安い価格で楽しめる場所として、エジプトを選びました。

エジプトについて Idris が当時知っていたことは、砂漠、ラクダ、ピラミッド、そして一つの『問題』としてイスラム教徒だけでした。なぜ彼がイスラム教徒を『問題』と考えていたかと言うと、彼の人生でイスラム教徒に実際に出会ったことが無く、イスラム教徒について知っていたイメージは、彼らは人の腕を切り落とす、自爆テロを起こす、などでした。だから、Idrisは次のように心配をしていました。『もし私がエジプトで休暇を過ごしたら、イスラム教徒に誘拐されて、頭を切り落とされるかもしれない。エジプトへ行くのは自分にとってとても危険なころになる可能性がある』

でも資金不足だった Idoris は、休暇を過ごすための滞在先としてエジプトを選択せざるを得ませんでした。実際にエジプトへ行き、エジプトで過ごした日々が、Idris の人生を変えたと、彼は次のように語っています。「私がイスラム教を知るきっかけになったのはイスラム教に関する本を読んだり、テレビ番組を見たり、イスラム教徒の説教者の説教を聞いたりということからではありませんでした。私は人生で初めてエジプトでイスラム教に出会いました。そして、私が私の人生で初めて出会ったイスラム教徒は重要な地位にある首長などではありませんでした。私が最初に出会ったイスラム教徒はストリートで靴磨きをしていた幼い子供だったのです。その子供は痩せていてまだ幼い少年でした。彼はプラスティック製のサンダルを履いていました。ある日、私がその少年の前を通りがかった時、彼は私の白い肌色の顔を見ながら、 Assalamu alaikum アッサラームアライクム(Peace be upon you)と挨拶しました。その幼い少年は、Peace be upon you 平安があなたたちの上にありますように と、明らかにその言葉を意味して私に言っていました。私がカイロで滞在していた間は、宿泊していたホテルの近くにいたその少年の近くを、毎日通りました。そしていくつかのアラビア語で彼に私が話しかけた時には、彼は私に Alhamdulillah アルハムドゥリッラー(all praise be to Allah神様に感謝します) と返しました。」

Idris はエジプトでの休暇から帰った後もまだイスラム教について何も知りませんでした。でもただ一つ彼がエジプトで学んだことは、イスラム教とはテレビで見聞きしているようなものとは全然違うということでした。

エジプト休暇から家に戻った Idris はまだ無職の状態でした。その後、彼は過去に教員をしていた経験を生かして教職に就きました。非常にやんちゃな子供が多い公立学校の教員になったのです。その学校の生徒たちのほとんどはアラブ系の子供で、彼らはイスラム教徒でした。

Idris は6大宗教(仏教、ヒンドゥー教、シーク教、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教)を教えることになりました。その時のことを彼は次のように話しています。「私はキリスト教についてはもちろんよく知っていましたし、ユダヤ教についても十分な知識はありました。しかし他の4大宗教については何も知らなかったのです。イスラム教について何も知らなかった私が、イスラム教徒である生徒たちに、イスラム教について授業をしなければなりませんでした。私はその生徒たちにイスラム教を教えるため、3、4カ月の間毎晩、イスラム教に関する数冊の本を読みました。私はイスラム教について知れば知るほど、イスラム教のことが好きになっていくのを感じました。さらに、預言者モハンマドについて私自身が関心を抱いていることにも気付きました。そして、生徒たちにイスラム教について教えている間、私の目に涙が溢れて来て、喉が詰まりました。私は生徒たちが私の涙に気付かないようにするので必死でした。それから、ラマダン月が訪れた時の話ですが、生徒たちが 私に言いました。『先生、ラマダンなのに私たちが祈る場所が校内のどこにもありません。僕たちは、あなたの教室で祈りたいです。あなたの教室にはカーペットが敷かれているので、祈りに適しています。』偶然にも、校内で私の教室だけが、カーペットが敷かれていました。それだけでなく、さらに、ウドゥという礼拝前に体を清める行為を行うために必要な洗面所まで備わっていたのです。
私は彼らの要望に同意し、彼らはラマダンの間私の教室で祈りました。最初の頃は私は彼らがお祈りをしている間、彼らの後ろに座り、次の授業で何をするかを考えるために本をチェックしたりしていました。でも、数日後、私は、彼らのイスラム式の祈り方を、じっと見るようになり、その様子に魅了されました。そして、彼らが祈りの間に言っていたアラビア語について、彼らには内緒でインターネットで調べ始めました。そして、ラマダンが終わる頃には、私はもう、イスラム教徒たちの義務である祈りの方法を生徒たちから教わって知っていました。また、私はラマダンが開始する時に彼らに私の教室を祈りのために使って良いと言っただけではなく、私はイスラム教徒ではないが、あなたたちと一緒に断食をすると言ったのです。要するに、私はラマダンの1ヶ月で祈り方を学び、断食をやり遂げました。とにかく数カ月でイスラム教徒は良い人間であることを知り、彼らのことをとても心地良く感じました。」

そして Idoris はその後起こした行動について次のように語っています。「私はロンドンのセントラルモスクへイスラム教について習うために通い始めました。生徒に教えるためにイスラム教を学ぶのではなく、自分自身の心と知識のために学びたかったのです。そのモスクでは、お気に入りの元ポップ歌手である Yusuf Islam ユスフ・イスラム が、人々とイスラム教について話をしていました。彼の話が終わった時、私は彼のそばに行って『ブラザー、あなたに質問して良いですか?イスラム教徒になりたい人がいるとしたら、その人は何をすればいいのですか?』 と尋ねました。でも私はすかさず『私はイスラム教徒になりたくないです。でも、もし誰かがイスラム教徒になりたがっているならあなたはどうしますか?』 と言葉を付け加えました。そして彼は私に言いました。『まず最初に全てのイスラム教徒は唯一の神を信じています。』 そして私は言いました。『はい。私はいつも神は唯一の存在だと信じています。』 次に彼は言いました。『イスラム教徒は一日5回の祈りをします。』 そして私は言いました。『実は私はアラビア語でどう祈るかを知っています。』彼は当惑した表情で私を見ながら言いました。『イスラム教徒はラマダンの期間中断食をします。』 私は答えました。『実は私はラマダンの1カ月間断食を成し遂げました。』 そして彼は私の目を真っすぐ見つめて言いました。『ブラザー、あなたはもう既にイスラム教徒です。しかし、あなたは既に自分がイスラム教徒であることを認めたくなくて、それを何とかごまかそうとしているイスラム教徒です。』 その言葉を彼が私に言っている時に、モスクから、日没の祈りの時間を告げる ” アザン ” の声が聞こえてきました。そしてイスラム教徒たちが祈るためにモスクの中へどんどん集まって来ました。その時の私は、まるで酔っぱらっているかのような感覚に陥っていました。なぜなら、『兄弟よ!あなたは既にイスラム教徒です!それを認めたくないイスラム教徒です!』という声が、私の心の中に聞こえて来たからです。そしてアザンを聞きながら私たちはモスクの中へ入りました。そして私は祈っているイスラム教徒たちの後ろに壁にもたれて座っていました。アザンの声と共にたくさんの天使がモスクの中へ現れたかのように感じました。コーランが暗唱され始めた時は本当に素晴らしく美しいひと時だった。そして、私は涙が止まらなくなりました。まるで赤ちゃんのように泣き続けました。そして、祈りが終わったあと、私はイスラム教徒になりたいことを伝えました。どうすれば良いのかを尋ねると、彼は私に Shahada シャハダ “Ash-hadu anla elaha illa-Allah wa ash-hadu anna Muhammadun rasul-Allah”(I testify that there is no other god but Allah, and I testify that Muhammad is Allah’s messenger)を彼の言う通りに続けて言うように言いました。そしてその場にいた全てのイスラム教徒の兄弟たちが私の所へ集まり歓迎してくれました。その時の喜びは本当に素晴らしいものでした。」

3. 仏教僧になる道を捨て、イスラム教に改宗し、イマームとなった日本人

Ahmed Maeno前野 直樹)さんは、1975年生まれで愛知県出身の日本人。現在日本ムスリム協会に所属するイマームの内の一人です。

前野さんは 13,4歳の頃に「私の存在はいったいどこから来て、どこへ向かっているのか?」と自問自答するようになりました。そして彼は日本の主な宗教である仏教においてその答えを追求しようと考えていました。でも、前野さんはその答え探しを一旦諦めて、オーストラリアのメルボルンへ交換留学生として1年間行くこととなり、留学中にとても親切なイスラム教徒であるエジプト人家族に出会いました。その家族と接することで前野さんの反イスラム感情が少しずつ薄らいでいき、イスラム教こそ彼がずっと探し求めていたものだと確信をするに至りました。

しかし、前野さんは、反イスラム教的な社会である日本で、イスラム教徒になることが、他の人達からどう見られて、どんな態度をされるのかと、不安に思っていました。きっと、自分のことを変な人間だという風な目で見られるに違いないと心配をしていた彼は、イスラム教に改宗することに少し時間を要しました。

でも、前野さんは、映画「マルコムX」を見て勇気を貰うことができました。彼が映画で影響を受けたシーンは2つ有りました。一つは映画の中で、元ギャングだったマルコムXがイスラム教に出会ったことがきっかけで、彼の人生が劇的に素晴らしく変化し、聖人の様な人間に変わったこと。そしてもう一つは、映画のシーンでマルコムXがメッカを巡礼したシーンです。その時の気持ちを前野さんは次のように語っています。「普通は、大勢の人が一つの場所に集まる理由は、サッカーを観戦したり、コンサート会場で盛り上がって踊ったりすることを楽しむためです。でも、ハッジ(メッカ巡礼)においては、世界中から、大勢のイスラム教徒が、唯一の神を崇拝する目的のために、同じ場所に集まります。それを映画を見て知って非常に感銘させられました。そして、私はイスラム教について完全に理解して納得し、イスラム教徒になることを恥ずかしがる必要はない。イスラム教徒になることは素晴らしいことであると思うようになりました。」

前野さんは、ようやくイスラム教徒になることを決意しました。このことについて、彼は「私が最後の一歩を踏み出し、イスラム教徒に改宗できたことについて、神に感謝しています。」と言っています。

しかし残念ながら、前野さんの家族たちは、イスラム教に対する誤解に満ちていました。彼がアラビア語を学ぶためにクウェートへの留学をしたいと父親に話した時、父親は「なぜあなたは未だにイスラム教徒のままなのか?イスラム教徒でいることを辞めなさい!」と言いました。前野さんは父親に「私がイスラム教徒になったことで、何か私自身が悪い方向へ変化しましたか?お父さん、あなたがご存知のように、私は悪い方向へ一切変化していませんよね?」と言いました。でも、彼の父親から出た言葉は、「あなたはもう私の息子でない!」という辛辣な言葉でした。

前野さんは父親からの絶縁ともとれるその言葉にとてもショックを受けました。その頃前野さんはアルバイトをしていましたが、親から完全に独立して暮らせていたわけではなかったので、自分で生活に必要なお金を稼がなければならなくなりました。翌日、前野さんは神戸にあるモスクへ訪れ、エジプト人のイマームに相談をしました。そのイマームは前野さんのためにアル・アズハル大学で奨学金を得て学ぶことができるようにエジプト大使館への推薦状を書いてくれました。前野さんはその推薦状を郵便ポストへ投函した後、両親のいる家に一旦戻りました。絶縁の言葉を息子に放った両親でしたが、彼らの大切な息子である前野さんを再度受け入れてくれました。しかし、残念ながら、前野さんの家族がイスラム教を受け入れて、改宗をするということは、その後も起こっていません。

そして、インタビュアーが前野さんに「あなたが仏教を深く学ぶ過程で理解ができなかったこと、見つけられなかった答えとはどういうことでしたか?」と問いました。前野さんは次のように答えました。「その一つはインドから始まった『輪廻』の思想です。仏教はヒンズー教の後継で、仏陀自身もヒンズー教の進化論者であったと考えられています。輪廻は私たちが精神と魂をもっているとし、その魂は決して死なぬことはありません。そしてこの世に残った魂は、私たちがどのような仕事をし、何を行ってきたかによって違う形のものに変化をするというものです。ですので、前世は動物であったかもしれないし、昆虫であったかもしれない。この世で私たちは別の生き物になっていた可能性があるのです。輪廻転生はそれを繰り返します。このことで私が感じた違和感は、人間の総数はその時代により違います。なので、もし魂がずっと生き残り、生まれ変わり続けるのならばその数の違いをどうマッチさせるのかという疑問でした。そしてもう一つの僧侶になることを辞めた理由は、仏教徒は人生や日々の生活で、信仰生活と普通の日常生活を完全に分けて考えることにありました。」

更にインタビュアーは前野さんに質問をしました。「もし日本の誰かがイスラム教について知りたいと、いくつかの質問をインターネット検索で書いたら、彼らはどのような情報を得られますか?」前野さんは次のように答えました。「それは、情報を求める人が、イスラム教にどのくらい強く興味を持っているかによりますが、とても残念なことに、日本の東洋学者たちは、イスラム教に対して嫌悪感を持っているようです。ですから、彼らが書いた本にはイスラム教について悪く書き、イスラム教に対する間違った情報と悪い印象を日本人に広めようとしています。しかも、困ったことに、そのような本がベストセラーにランクインしているのです。ですから、もし、イスラム教に興味を持った人がイスラム教に関する情報をインターネットで検索をすると、真っ先にそのようなイスラム嫌悪の情報を入手することになってしまいます。」

インタビュアーの次の質問は、「あなたにとって日本でイスラム教徒としていろいろ実践していくうえで、またはイスラム教徒として生きていくうえで一番困難に感じたことは何ですか?」という問いでした。それに対して前野さんは次のように答えました。「イスラム教の教えを日本で実践していくうえで、助け手となってくれる人が非常に少ないことです。私には5人の子供がいます。ですので、私の妻と私を含めると、家族は計7人になります。私の妻と私の両側の親族の中で私たち7人以外にはイスラム教徒はいません。ですから、親族間でのイスラム教徒コミュニティのようなものが無いのです。私が住んでいる千葉県では、イスラム教徒が比較的に多く住んでいます。その地域のイスラム教徒たちの状況を観察をしました。祈りの時間に彼らがモスクに来れば、他のイスラム教徒たちに出会い、一緒の時間を過ごすことができます。しかし、彼らの個人的な日常生活ではイスラム教徒仲間が全くいません。」

更にインタビュアーは質問を次のように続けました。「あなたにとって預言者モハンマド様の行動で最も素晴らしいと感じていることは何ですか?」そして前野さんはその質問に次のように答えました。「それはモハンマド様の慈悲深さです。特に彼がターイフから戻った時にターイフの人達を招待しようとしました。すると、彼は、ターイフの人々から石を投げつけられるという無礼な振る舞いに遭遇しました。そして、山を司る天使たちは彼を召して言いました。『我々は、隣接する2つの山を無礼な振る舞いを行ったターイフの民の上に崩れさせ彼らを葬り去ってしまおうと考えています』と言いました。しかし、預言者モハンマド様は『どうかそうしないでください。おそらく彼らやその子孫の中にもイスラム教を知れば、それを受け入れ、神を信じるようになるでしょう。』と言いました。」

また、インタビュアーは前野さんに、「なぜあなたはイマームになることを選んだのですか?」と質問をしました。前野さんは、「その理由は、イマームになろうとする日本人ムスリムがいなかったことです。そして、もう一つの理由は、イスラム教に改宗したばかりの日本人たちをサポートするシステムが無かったからです。そのような状況で、海外から日本へ来る熱心なイスラム活動家が人々を集め、シャハダを唱えてイスラム教に改宗したい人を見つけます。しかし、その後すぐに、その活動家たちは次のターゲットを探すために、他の場所へ移動してしまいます。なので、新しいイスラム教徒たちは知識が無いままになってしまいました。このような状況を変えたいと私は感じました。そして、そのためには私がイマームになって、新改宗者たちの手助けをするべきだと考えました。」

インタビュアーが最後に前野さんに尋ねました。「人々がイスラム教について残虐的かつ暴力的に攻撃をしてくる理由はなんだと考えますか。日本でもそのようなことをあなたは見聞きしましたか?」この質問に対して前野さんは次のようにと答えました。「私の意見ですが、その一つの理由に彼らがイスラム教は真実で本物の宗教だと知っているからです。彼らは心ではそのことをよくわかっています。でも、彼らがそのことを認めてしまえば、彼らはイスラム教を受け入れなければなりません。だから心底では知っている真実を隠すために憎悪と抵抗感で行動します。」

4. 東方正教会の司祭がイスラム教に改宗

Hilarion Heagy(改宗後の名前は Said Abdul Latif)は1971年生まれのロシア系アメリカ人。2003年頃にアンティオキア正教会に入会、その後2007年に脱会し、キリスト教プロテスタントの一つである東方正教会の司祭となりました。そして、2023年2月、ついに Said はシャハダを唱え、イスラム教徒となりました。Said のイスラム教への改宗物語の始まりは約20年前に遡ります。

Said は子供の頃から、彼自身が真の神を探し求めていることに気付いていました。しかし、彼が親から信じるように教えられたカルバン主義の神からは、愛も思いやりも感じていませんでした。なので、Said には、神学とは無味乾燥なもので面白くないものだと、感じるようになっていました。

Said は仏教を学び、座禅を組んで瞑想をしたりすることで、もっと心の深いところに繋がっているものを探そうとしました。でも、ジグソーパズルの欠けたピースが見つからないかのように、彼の心は満たされないままでした。数人のアメリカ人仏教徒たちがルーミーの詩を読むことを Said に勧めました。彼はルーミーの詩の中に『創造したものを愛する神』を見つけることができました。ルーミーは Said に大きな影響を与えました。しかし、子供の時から宗教と神学に浸っていた彼には確信を持つにはそれだけでは十分ではありませんでした。また、この時点で彼は既にイスラム教の基本的教義の勉強を終えていました。

Said を次の段階へ導く信仰への序章は 9.11の余波でした。彼は政治的な関心から、地域のイスラム協会を訪ね、イスラム教がメディアが描いているほど、暴力的なのかどうかを理解するために講義を聞くことから始めました。彼はその間に出会ったイスラム教徒たちと一緒に祈り、イスラム文明のコースでコーランを聞きました。初めてコーランの暗唱を聞いた Said は、暗唱されるコーランが信じられないくらい美しく、そして聴く者をリラックスさせることに気付きました。この時の Said のイスラム教に関する興味は、まだ政治的な関心だけでした。しかし、彼の政治的関心はルーミーの教えと完璧に調和されていました。

Said の心は2003年までにイスラム教を受け入れることを強く欲するようになってきていました。しかし同時に彼は奇妙な気持ちにもなっていました。Said はキリスト教を拒絶することに躊躇していたし、彼の家族が彼のこの変化にどう反応するのかがわからなかったからです。

そして彼の心配事はまだ他にもありました。それは彼がテロリストとして間違った形でステレオタイプ化されてしまうのではないかという恐れでした。なので、イスラム教の強力な魅力が、20代前半の時にキリスト教を学んだ時に感じた彼の心の中の虚無感を思い出して見ろと言っているにもかかわらず、躊躇していました。20代前半の頃彼はイスラム教の素晴らしさに気付いていても選択する勇気がありませんでした。だから、プロテスタント主義に代わるはるかに優れた、でも、イスラム教に匹敵するものではなかった正統派に自分自身を完全かつ無条件に妥協させたことを認めました。

Said の熱心さは教会から注目され、すぐに司祭への地位が与えられました。『イスラム教の種 』は彼の心の中に撒かれていたにもかかわらず、彼はその司祭である立場を楽しみ始め、祭壇に立っている間は寛いだ気分になっていました。

Said にとっては、2010 年から 2018 年までの期間は、彼がイスラム教と愛憎関係にあった時期でした。なぜならその頃、ヨーロッパではテロが増加していたからです。彼はヨーヨーのように揺れ動き、時にはイスラム教を憎み、時には改宗を検討していました。彼は引っ張る力は非常に強かったが、押し戻す力も同等にあったと言います。また、Said はこの頃「The Sword of the Prophet」などの反イスラム教の本を読んでいました。

2018年に驚く出来事が起こりました。Said のとても緊密な関係であった友人の一人がイスラム教に改宗したのです。これは彼にとっては非常にショッキングな出来事でした。彼は友人がイスラム教のために正教を辞めたことが信じられませんでした。そして彼はその親友に会って一体何が彼にイスラム教徒になる決心をさせたのかを問いました。彼らの会話は Said が改心するまで続き、その会話は、イスラム教に改宗させる重要な役割となりました。

2019年から2020年は Said にとって重要な年となりました。Said は知る人ぞ知る有名なカトリック大学の進学プログラムの修士課程に入学したのです。彼は大学の図書館で全ての本にアクセスすることができました。また、その間にはコロナパンデミックのロックダウンも起こりました。世界全体が停止したかのようになり、教会は閉鎖されました。

Said はイスラム教徒たちがそのような停止した世界でどのように振舞っているのかを観察しました。そして、イスラム教徒たちは礼拝の性質上、どのような状況でも彼らは額を床につけて祈ることができ、神との間に仲介者は一切不要でした。イスラム教徒と神とのつながりは無傷だったことを Said は知りました。Said は車のダッシュボードの上にあったクルアーンのコピーを持って、9.11の後に訪れたイスラム協会へ向かいました。ついに Said はイスラム教に飛び込むことを決めたのです。彼はこの時のことを『服従への私の引力は、ついに私を “家へ導いた”。神の元へ戻る旅、イスラム教への回帰が始まった』『私は平和、喜び、安堵を感じた。』と表現しています。そして改宗の際にシャハダを唱えることについて、『何年も前に蒔いた種が満開に咲き誇った。』と、Said は自身のブログで書いています。Said の改宗はイスラム教徒たちには喜びをもたらしましたが、キリスト教徒たちはショックを受け失望をしました。

最後に

今日は、イスラム教に改宗した人たちの4つの例を紹介させて頂きました。彼らはみな、最初はイスラム嫌悪者だったのですが、真実を知ってイスラム教に改宗をしました。
彼ら4名以外にも改宗イスラム教徒として有名な方々が他にも多くいます。例えば、アメリカのカンザス大学の数学教授である Jeffrey Lang 博士、フランスのモデルである Marine El Himer さんなども、イスラム教に改宗をしました。日本人の改宗イスラム教徒として有名な方は、 プロレスラーで政治家でもあったアントニオ猪木さんがいます。

イスラム教は世界で最も急速に広がっている宗教の一つで、現在は世界第2位の信者数を誇ります。キリスト教の信者数を抜く勢いで増加しており、今後もその傾向が続くと予測されています。イスラム教はメディアで流されるテロリストのイメージとは真逆で、平和を愛する宗教です。イスラム教は真の宗教であり、教えを知ることは生きる道しるべを得るようなものです。

イスラム教は、平和と正義の宗教です。クルアーン(コーラン)は、イスラム教の聖典であり、神への信仰と人間への慈悲を教える多くの節が、神の言葉として表されています。クルアーンには、人間の幸せと社会の秩序に関する教えが多く含まれています。イスラム教は、すべての人々に対して尊敬と愛を示すことを求めています。イスラム教は、暴力やテロとは無縁の宗教です。

イスラム教はあなたにも開かれています。イスラム教に興味がある方は、近くのモスクへ行ってみてください。モスクでは、イスラム教の信仰や礼拝について学ぶことができます。また、易しい日本語を用いて書かれたクルアーンの解説書などを読むこともおすすめです。クルアーンはイスラム教の聖典であり、イスラム教の教えや価値観を理解するためには欠かせません。イスラム教は平和と寛容の宗教です。異なる文化や宗教を尊重し、共存を目指しています。あなたがもし、イスラム教についてもっと知りたいと感じているのであれば、何も怖がることはありません。何度もお伝えしますが、多くの日本人がイスラム教に対して持っている「怖い」「危険」などんのイメージは、メディアにより作られた間違ったイメージでなのです。

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