はじめに
著者ラナは、2019年10月にイスラム教に改宗をしたムスリマ(女性イスラム教徒)です。長年ずっとイスラム教のことについて疑問や反感からくる好奇心を抱いていて、少しずつ情報を自分なりに集め、解釈をした結果、イスラム教について抱いていた悪いイメージが完全に自分の誤りだったことに気付き、そしてイスラム教こそが唯一の真の宗教であり、クルアーンに書かれている至高なるアッラーからの教えや知恵は本当に素晴らしいということに気付くに至り、改宗を決意しました。イスラム教に対して嫌悪感を抱いていた私がなぜイスラム教に興味を抱き、どういう経緯を経てイスラム教に改宗をしたのかについては、長い話になってしまいますので、別の投稿で書かせて頂きたいと思っています。イスラム教に改宗をした後、イスラム教のルールに従って生活がしやすい国へ移住したいと考えるようになり、2020年10月にトルコへ移住をしました。ですので、今私はトルコ在住の日本人です。
さて、2023年のラマダンがトルコでは3月23日に始まりました。正しく、そして良いイスラム教徒としてラマダンを過ごすには、どうすれば良いのかを真剣に考えました。イスラム教に改宗して約3年半の未熟な私には、まだまだよくわかっていない基本的なことが多く有ることに気付き、良いイスラム教徒として生きたいのであれば、もっと深く、そして丁寧にイスラム教について学び、知識を得るべきだと、気持ちを新たに日々コツコツと勉強を重ねることを決意しました。
私のように英語がある程度わかる人であれば、インターネット検索でイスラム教についての豊富な情報を世界中から得ることができます。しかし、英語が不得意な日本人の方々が、イスラム教についてもっと知りたいと思っていても、少ない限られた情報しか得ることができず、そのままイスラム教徒になる機会を逃してしまいかねません。実際私がイスラム教について初めて情報収集を始めた頃、日本語でのネット検索では知りたいことを学べるウェブサイトがほとんどありませんでした。ですので、私が世界中の情報から学んだことをブログで紹介すれば、そういった人たちの手助けになるかもしれないと考え、「イスラム教について学ぶ」のカテゴリーを新設して、シリーズもので書くことを決定いたしました。私の書く記事がイスラム教について関心を持っていらっしゃる方にとって、少しでも手助けとなることを願っています。
第1回目のイスラム教に関する記事は、現在ラマダン中ということも有り、「ラマダン」のテーマで始めさせて頂くことと致しました。
日本人が「イスラム教」または「ラマダン」という言葉を聞くと、まず真っ先に頭に思い浮かぶのは「断食」という言葉ではないでしょうか⁈
私もイスラム教について全く何の知識も無かった頃は「イスラム教徒の人たちって、ラマダン月に1ヶ月も断食をするって聞いたことが有るけれど、そんなに苦しいことをよく我慢できるなぁ…。」、「1ヶ月もの間、全く何も食べずに、水分だけを摂っているのかな?」などと想像をして心配をしていました。
しかし、イスラム教の教えでは、断食のルールに関してだけでなく、信者に対して決して耐え難い苦行を強いたりすることはありません。イスラム教について勉強をする前は、イスラム教はとても厳しい戒律が有って、信仰するには難しい、そして少し怖いイメージの宗教だと思っていました。でも、実際は全く想像と違っていて、私が抱いていたイメージとは真逆でした。
それでは、「イスラム教について知る」シリーズの第1回目として、「ラマダン」について詳しく学んでいきましょう。
ラマダンとは
ラマダンとは ヒジュラ暦*1 の第9月を意味する名前であり、本来はラマダンが断食という言葉を意味するものではありません。しかし、慣習的には、ラマダンが断食を意味するようになってきているようです。「断食」を意味するアラビア語は صيام「サウム」で、英語では Fasting「ファスティング」です。
イスラム教徒にとって、ラマダンの月は一年で最も神聖な時期であり、この時期に天使ジブリール(キリスト教ではガブリエル)が最初にクルアーンを預言者ムハンマド (彼にアッラーからの平安と祝福あれ*2 Sallallahu Alayhi Wasallam ) に明らかにしたと信じられています。 そのため、この月は非常に神聖な月であり、イスラム教の五行(イスラム教徒に課せられた5つの義務)のひとつである「断食」を行う月です。ラマダン期間中は、イスラム教徒は義務として「断食」を行います。期間中ずっと断食をするのではなく、毎日“日の出から日没までの間”*3だけ、飲食を断ちます。断食中は水も飲んではいけません。また、チューインガムを噛んだり、飴をなめるのもいけません。
また、イスラム教における「断食」は、単に飲食を断つだけではなく、喫煙、性行為、怒りの気持ちによる喧嘩や口論、嘘をついたり陰口を言うこと、その他の罪深い行為といような、あらゆる欲や罪深い行いを遠ざけなければなりません。ラマダン中は高い道徳心、倫理観そして自制心を持って過ごさなければならないのです。
*1 「ヒジュラ歴」は、「イスラム歴」とも呼ばれ、月の満ち欠けに準じる暦法です。閏月を置いて、季節や太陽暦を合わせる太陰太陽暦(日本の旧暦など)とは異なり、世界でただ一つの純粋太陰暦です。
西暦622年7月16日(ヒジュラ)が紀元1年1月1日になります。また、ヒジュラ暦は英語の” Anno Hijrae ” を略して、A.H.と称されます。世界中で私たちが一般に日常生活で使用している1年が365日の太陽暦とは毎年約11日のずれが生じます。
そして、このヒジュラ歴の制定はクルアーン(コーラン)の第9章「悔悟章(At-Tawba/ The Repentence)」36節、37節 に従って制定をされました。
また、ラマダン開始日などを決めたりする際には、実際に月の状態を目視して決める場合や、暦上の予定日を重視して決める場合があります。国や宗派により、そのどちらの決定方法を採用するかが異なるために、ラマダンの開始日が1~2日ずれることが有ります。ちなみに私が現在住んでいるトルコでは、今年2023年のラマダンは3月23日に始まり、4月20日に終わります。
*2 イスラム教徒が預言者ムハンマド様の名を言う時は、後ろに「彼にアッラーからの平安と祝福あれ(日本語)」、「Sallallahu Alayhi Wasallam(アラビア語)」などと付け加えます。また「S.A.W(略語)」と略して書くこともあります。
*3 イスラム教の日々の祈りの時間は太陽の位置により日々変化をします。また、住んでいる場所の緯度によっても大きく変わってきます。ですから、日の出(Fajir/夜明けの祈り)から日没(Maghrib/ 日没後の祈り)の断食すべき時間の長さも場所によって違います。その長さは14時間前後の場所が多いようです。
ちなみにトルコ語では「ラマダン: Ramazan(ラマザン)」、「断食: Oruç(オルチ)」、「ヒジュラ歴: Hicri takvim(ヒジリー タクビム)」「クルアーン: Kuran(クラン)」と言います。
イスラム教における断食の目的
イスラム教における断食の目的は、信者を空腹と喉の渇きにより苦しめ、また、その他の欲求を無理やりに抑え込み、快適さを奪って辛い日々を送らせることではありません。
断食の真の目的は「Taqwa(タクワ)」を学ぶことです。断食が、正しい方法で行われた場合、Taqwa が正しく実践されたことになります。
Taqwaは、クルアーンの158節以上で現れる非常に重要な精神的及び倫理的な用語です。「アッラー(完全無欠で至高なる御方 Subhanahu Wa Ta`ala)*4への敬虔な怖れと義務の遵守」、「良心」「道徳感情」などにより「悪を避けること」などを意味します。クルアーンにおける倫理概念の最も重要なもので、イスラムの精神性と倫理の総和とも言われています。
アッラーの命令に従って生活し、禁止事項を避けるために最善を尽くすことがTaqwaを正しく実践することになります。 クルアーンの中では、Taqwaタクワという言葉を、「至高なるアッラー*5の存在と啓示への高い意識」、「アッラーへの畏れ」、「アッラーへの崇拝」、「誠実な信仰」、「アッラーへの不服従によるアッラーの怒りからの回避」を意味するために使用されています。Taqwa を心にもっている人はアッラーのために善を行い、悪を避けることを好みます。Taqwa の実践には忍耐力が必要です。断食により忍耐力を強め、それぞれの信者が持っているTaqwaの念を高めることができるのです。このTaqwa については、別の投稿で更に掘り下げて詳しく書きたいと思います。
*4*5 イスラム教徒がアッラーと言う時は、その後ろに「完全無欠で至高なる御方(日本語)」と付け加えたり、前に言葉を足して「至高なるアッラー(日本語)」、もしくはアラビア語で「Subhanahu Wa Ta`ala(アラビア語)」などと後ろに付け加えます。また「S.W.T(略語)」と書くこともあります。
なぜ断食を行うとTaqwaを実践したことになるのでしょうか?
たとえば、断食中に信者がそーっと誰かに気付かれないように何かを食べたり飲んだりしても、それを知ることができるのは、その本人と至高なるアッラー以外にはいません。断食を行っている信徒は、アッラー(完全無欠で至高なる御方)に正しく断食を行うことを誓っており、最後まで断食を純粋なまま終わらせることを願っています。他の誰かが知っている知っていないに関わらず、至高なるアッラーに対しての忠誠心を持って、良いイスラム教徒として生きることを学びます。それこそがTaqwa の目的であり、本質です。
「食欲」と「性欲」は、人間の生存と成長に不可欠な生理的欲求ですが、適切な制御や規律無しでは、人間はその欲にまみれ、溺れ、そして堕落した様な生き方に陥ってしまいます。しかし、Taqwaを持っている信者 は、生理的な欲求を満たそうとする時に、至高なるアッラーの規則に従ってうまく欲求をコントロールすることができます。断食はこれらの欲求を制御するための良い訓練となります。様々な種類の多くの誘惑に満ちた世界で生きる人間が、良くないことに対して迷いなくはっきりと「ノー」と言う方法を学ぶことで、至高のアッラーの規則を遵守する良いイスラム教徒に自分自身を成長させることができます。
また、日常生活を送っていると、自分自身や家族のことを大切にすることに意識が集中し、貧困により飢えに苦しんで生きている人々が存在すること、そしてそのような貧困の中で生きている人々の心の痛みや苦しみ、悲しみに気付くことさえありません。断食を通して、貧しくて困窮している人々の痛みや苦しみをある程度共感することができます。そして、その体験を通して私たちの利己心や自己中心性を取り除くことができます。これこそが Taqwa の精神です。
ラマダンの断食は義務
ヒジュラ歴2年目に、アッラー(完全無欠で至高なる御方)はイスラム教徒に毎年ラマダン月に断食するように命じられました。至高なるアッラーがラマダン月における断食についてどのように言及をなされたかについては、クルアーンの第2章「雌牛章(Al-Baqara/ The Cow)」183節~187節に書かれています。183節にはラマダン月の断食が義務であることがハッキリと記されています。
<クルアーン 第2章「雌牛章(Al-Baqara/ The Cow)」183節>
(アラビア語): يَـٰٓأَيُّهَا ٱلَّذِينَ ءَامَنُواْ كُتِبَ عَلَيۡكُمُ ٱلصِّيَامُ كَمَا كُتِبَ عَلَى ٱلَّذِينَ مِن قَبۡلِكُمۡ لَعَلَّكُمۡ تَتَّقُونَ
暗唱者: Mishary Rashid Alafasy
(読み方): Yaa ayyuhal lazeena aamanoo kutiba ‘alaikumus Siyaamu kamaa kutiba ‘alal lazeena min qablikum la’allakum tattaqoon
(英訳): O you who believe, fasting is prescribed for you as it was prescribed for those who were before you, in order that you may learn taqwa (piety)”
(和訳): 信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも義務付けられたように、あなた方にも斎戒(さいかい)が義務づけられた。(それは)あなた方が、敬虔(けいけん)になるようにである。
*6 斎戒(さいかい)とは、断食を含め、人間のあらゆる生理的欲求を神への高い信仰心と忠誠心により自制し、道徳的および精神的理想を追求すること。
断食の義務が免除される者
思春期に達してない子供、精神的または身体的に病気を患っている人、旅行者、妊婦または授乳中の母親、月経中の女性、断食を中断しないと生命が脅かされる恐れのある状況の人は、断食の義務を免除されます。
ただし、断食をするのに十分な年齢に達している者が、上記の理由などにより、断食を行えなかった場合は、ラマダンが終わった後に、断食ができなかった日数分の断食を行い、自身の断食を完全に成し遂げなければなりません。イスラム教では、ラマダンの断食を不完全な状態で終えることなく、後から足らない日数を補完できるというような柔軟な対応が可能です。必要なのは、神に対して義務を果たすという固い決意と、それをやり遂げる強い意志です。先ほどお話ししたTaqwaが断食をやり遂げるためには必要で、断食を最後までやり遂げることにより、Taqwaが高められるということです。
断食の免除者に関しては、クルアーンの第2章「雌牛章(Al-Baqara/ The Cow)」184節に以下のように書かれています。
<クルアーン 第2章「雌牛章(Al-Baqara/ The Cow)」184節>
(アラビア語): أَيَّامٗا مَّعۡدُودَٰتٖۚ فَمَن كَانَ مِنكُم مَّرِيضًا أَوۡ عَلَىٰ سَفَرٖ فَعِدَّةٞ مِّنۡ أَيَّامٍ أُخَرَۚ وَعَلَى ٱلَّذِينَ يُطِيقُونَهُۥ فِدۡيَةٞ طَعَامُ مِسۡكِينٖۖ فَمَن تَطَوَّعَ خَيۡرٗا فَهُوَ خَيۡرٞ لَّهُۥۚ وَأَن تَصُومُواْ خَيۡرٞ لَّكُمۡ إِن كُنتُمۡ تَعۡلَمُونَ
暗唱者: Mishary Rashid Alafasy
(読み方): Ayyaamam ma’doodaat; faman kaana minkum mareedan aw’alaa safarin fa’iddatum min ayyaamin ukhar; wa ‘alal lazeena yuteeqoonahoo fidyatun ta’aamu miskeenin faman tatawwa’a khairan fahuwa khairul lahoo wa an tasoomoo khairul lakum in kuntum ta’lamoon
(英訳): (Fasting) for a fixed number of days; but if any of you is ill, or on a journey, the prescribed number (Should be made up) from days later. For those who can do it (With hardship), is a ransom, the feeding of one that is indigent. But he that will give more, of his own free will,- it is better for him. And it is better for you that ye fast, if ye only knew.
(和訳): (ラマダーン月の) 一定の日数を(斎戒せよ)。 それであなた方の内、 病人や旅 行中の者(で斎戒しなかった者) は誰でも、別の日々に (その) 日数を(斎戒する)。そしてそれ (斎戒) を遂行できない者の償いは、貧者(ひんじゃ)一人への食べ物**1。また、進んで善行をする者ならば、それが彼にとってより善いこと**2である。 そして斎戒する方が、 あなた方にはより善いのだ**3。 もし、あなた方が (その徳を) 知っているのなら。
**1 老衰 (ろうすい) した者や、快復 (かいふく) の望みが薄い病人などは、ラマダーン月の斎戒の義務を免除されるが、 その代償は毎日一人の貧者に食べ物を提供することである。
**2 貧者への 食べ物の提供において、 義務の枠 (わく) を超えた施 (ほどこ) しをすること。
**3 上記の理由により斎戒の義務が免除される者でも、 斎戒することの方が望ましいということ。
最後に
今回はラマダン月の断食とはどういうもので、何を目的にしているのか、そして断食を行うにあたってのイスラム教徒の心構えなどについて大まかに書かせて頂きました。ラマダン月だけに限らず、イスラム教徒は普段から常に Taqwa を心に持ち、アッラー(完全無欠で至高なる御方)を畏れかしこみ、誠実な生き方をするように心掛けることが大切で、世界中のほとんどのイスラム教徒がそのように日々努力をしています。
今回お話しした内容は、イスラム教に無関心、無関係である方々であっても、大まかにでも知っておくと、いつか役立つ状況に遭遇するかもしれません。なぜなら、今日のグローバル社会においては、イスラム教徒の友達ができたり、勤務先でイスラム教徒の同僚がいたり、仕事の取引先がイスラム教を国教とする国であったりする場合が増えてくるはずです。その時は、今回読まれたことを思い出して、イスラム教徒がラマダン中の断食をすることが必要な時間帯に飲食を一切しないのはなぜかということを思い出してください。そして、彼らにはそれがイスラム教徒としての義務であることにご理解を示して頂き、彼らが無事に断食を行うことができるようにご協力をお願いいたします。そしてくれぐれも、イスラム教徒の断食を遂行する邪魔を故意または冗談のつもりでも、なさることの無いようにお願いいたします。